
冬の日光、静寂の大猷院で壮麗な建築物にふれる
No. 426
厳かな静寂に包まれる冬の日光。
寒気に漂う透明感が、日光の歴史的な建造物をより際立たせます。
徳川家三代将軍・家光公が眠る霊廟である「大猷院(たいゆういん)」もその1つです。
大猷院という名前は家光の死後、後光明天皇からたまわった法号です。
家光の祖父、家康を祀る「東照宮」には多くの人が国内外から訪れますが、大猷院はそれほど多くはなく、見どころをゆっくり鑑賞することができました。
日光には何度も行ってますが、実は大猷院を訪れたのは初めてのこと。
東照宮に負けず劣らず、重厚さと繊細さが同居し、職人たちが心血を注いで作り上げた芸術をいたるところに感じさる建築に驚きました。
こちらは高さ3m20cmの仁王像が門を守る「仁王門」。
門を抜けると足元には一風変わった石畳が続きます。
これは日本の名石として名高い神奈川県根府川から運ばれてきたものです。江戸城にも用いらた石は雨に濡れると色が変わるそう。
エキゾチックなデザインを感じさせてくれたのが、御影石の柱が支える豪奢な意匠の御水屋(おみずや)。天井には狩野永真安信(かのうえいしんやすのぶ)による龍の絵が描かれているというので楽しみにいていましたが、残念ながらほとんど消えかけていました。
東照宮に近しいものを感じさせる「二天門」は108代天皇である後水尾天皇の筆による「大猷院」の額が掲げられています。
二天門の名は、持国天と広目天の二天を祀っていることから。裏側には雷神と風神も安置されていますよ。
大猷院は上へ上へと上がるように造られています。
二天門を抜けて石段を上がると、左右に鐘楼と鼓楼があり、その周辺には唐銅製の灯籠がズラリと並び、圧巻な光景が広がります。
数々の灯籠は10万石以上の大名たちから奉納されたもの。そういえば、家光は参勤交代を制度化した人物。大名たちは江戸滞在中やその往復の過程で、幕府への忠誠を示すためにさまざまな形で貢献しました。この灯籠も忠誠心の表れかもしれません。
灯籠を背に石段を上がると4体の夜叉を祀る「夜叉門」へ。
牡丹の装飾がなされているので「牡丹門」とも呼ばれるそう。
こちらの「烏摩勒伽(うまろきゃ)」という夜叉像は全国でも珍しい像だそうです。
太ももに象の意匠がみられますが、これが「ひざこぞう」という言葉を生んだとか。
続く「唐門」は大猷院の門の中で一番小さいのですが、気品に満ちています。黄金色の色彩をベースに緻密な装飾がなされ、極彩色の飾りが効かせ色になっているのを感じます。正面の白龍や鶴の精巧な彫刻にうっとりと見入ってしまいました。
いよいよ、国宝に指定されている「権現作り」の拝殿・相の間・本殿へ。
拝殿の天井には64畳分の140の龍が狩野一門によって描かれています。
たくさんの金彩が使われているので、別名を「金閣殿(きんかくでん)」と呼ばれる拝殿の内部には狩野探幽(かのうたんゆう)の描いた唐獅子、家光公が着用した鎧などを見ることができます。
竜宮城を思わせる皇嘉門(こうかもん)は中国・明朝の建築様式。
その奥は家光の墓所があり、非公開のエリアとなっています。
ところで、大猷院の建物は日光東照宮の方角を向き、家光が尊敬してやまなかった祖父、家康への思慕が感じられます。
壮麗な建築物には霊獣や鳥、花々のモチーフが細かく描かれていますが、これには守護や繁栄の意味が込められているそうです。
訪れる人もまばらな冬の日、大猷院には雪どけの水が滴る音が響いていました。
日光を訪れたら、徳川家の栄華を感じさせる特別な場所に足を運んでみませんか。
<ご案内>
大猷院
栃木県日光市山内2300 輪王寺大猷院
0288-54-1766
https://www.rinnoji.or.jp/history/temple/taiyuuin.html