昭和初期へ。時間旅行が楽しめるレトロな「百段階段」
No. 321
JR目黒駅から急坂の行人坂を下ると見えるのが「ホテル雅叙園東京」。目黒のランドマークとして知られるこの施設の中で、唯一の木造建築が1934年に誕生した「百段階段」です。足を踏み入れると目の前には美しく年季の入った階段がのび、その脇には豪華絢爛な装飾が施された7つの部屋が配されています。
百段階段では年に数回、さまざまな展覧会が開催され、美的感性を刺激してくれます。私が訪れた時は百段階段を舞台にした「時を旅する百段階段」展が開催され、期間限定企画として「ちいさな世界」展が展開されていました。
ホテル雅叙園東京のエントランスに入り、左手側にあるエレベーターが百段階段への入り口。エレベーターも螺鈿細工が施され、美の世界へ案内するにふさわしい演出を感じます。
「ちいさな世界」は豆雛やつるし飾りをはじめ、ペーパーアートやミニチュアハウスなどの「小さなアート」が展示された展覧会。
エレベーター前で出迎えてくれたのは1911(明治44)年に創業された浅草橋「原孝洲」の雛飾り。華やいだ気分にさせてくれましたよ。
靴を脱いで百段階段に進みます。
百段階段という名前ですが、階段数は99段。これは縁起が良い奇数であること、99という発展性のある数字に由来するそうです。
簡単にホテル雅叙園東京の歴史にふれておきましょう。
昔、江戸っ子の足を泣かせた急坂・行人坂周辺にあったのは肥後細川藩の下屋敷。何人かの所有者を経て石川県出身の実業家・細川力蔵氏がこの土地の所有者となったのは昭和初期のことでした。その後、1931年に彼は日本初の結婚式場である「目黒雅叙園」を開業しました。
雅叙園の内外には豪華絢爛な装飾が施され、やがて「昭和の竜宮城」とうたわれるほどに。総合結婚式場のほか、百人風呂、飲食店を備え、とくに庶民には手が届かない高級飲食店が家族連れで利用できるような施設となりました。
目黒雅叙園時代の歴史を刻んだ百段階段もまた、細川力蔵氏の夢をかたちにしたもの。厚さ約5cmのケヤキ板が使われた階段、その階段が繋いでいるのは当時の有名画家の手によって作られた7室の客間です。
下の階から「十畝(じっぽ)の間」「漁樵(ぎょしょう)の間」「草丘(そうきゅう)の間」「静水(せいすい)の間」「星光(せいこう)の間」「清方(きよかた)の間」「頂上(ちょうじょう)の間」となっています。
室内の装飾を目の中に入れた途端、息を呑んだのが「漁樵の間」。部屋の名前は中国の「漁樵問答」(漁師と木こりがお互いにその境遇について問答するもの)に由来します。1本木に漁師と木こりがそれぞれ掘り出され、贅の限りを尽くしたという表現がぴったりの空間。
こちらは漁師の彫刻です。
柱に施された彫刻は画家の尾竹竹破(おたけ ちくは)の絵をもとに、彫刻家の盛鳳嶺(さかり ほうれい)が手がけたもの。また、室内はすべて純金箔、純金泥、純金砂子が使われ、格天井には菊池華秋原図の四季草花図、欄間には尾竹竹坡原図の平安時代の貴族の五節句が描かれています。
夥しい数の「つるし飾り」が圧巻だったのは「草丘の間」。つるし飾りは茨城県稲敷市にある「稲敷市商工会江戸崎つるしびなの会」の作品です。
この部屋の床柱には縁起が良いといわれる中国原産の槐(えんじゅ)が使われています。また、格天井は他の部屋より大きめ。花鳥画が描かれたこの天井画は私好みでした。
展示物の奥に見えるのは戦前から百段階段を守る瓦屋根、その奥には平成に建てられたオフィスビルのアルコタワーが見えます。
ここに立つと時代の移り変わりを感じないではいられません。
さて、こちらは果実が欄間に描かれている、画家・板倉星光(いたくら せいこう)が手がけた「星光の間」。控えの間の欄間にはスイカや柿など、縁起物とされる「実り」の果物がみずみずしく描かれていますよ。
その奥にはお祝いの席を再現した場面が広がっていました。仲居さんらしき女性の影が障子に映り、ノスタルジーを誘います。昔、百段階段で行われていた祝宴が偲ばれます。
こちらは「清方の間」に展示されていた、映画『ALLWAYS三丁目の夕日』に登場する鈴木オートの模型。
そして百段階段の一番上、「頂上の間」へ。
窓辺には美しい晴れ着が飾られていました。この部屋では窓の向こうに見える豊かな自然を楽しみながらの休憩もできます。
美の殿堂であるレトロな百段階段では年に数回、見学会や展覧会が開かれているので、時を旅する時間を過ごしてはいかがでしょうか。
〈ご案内〉
ホテル雅叙園東京「百段階段」
東京都目黒区下目黒1-8-1
TEL 03-3491-4111
http://www.hotelgajoen-tokyo.com/100dan
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