文豪の記憶を辿って。猫が案内役の「漱石山房記念館」へ
No. 447
神楽坂から早稲田方面へと歩くと、静かな住宅街にひっそりと佇む「新宿区立漱石山房記念館」が現れます。


ここは明治の文豪・夏目漱石が晩年を過ごした旧居「漱石山房」の跡地に建つ記念館。ずっと行きたいと思っていた場所です。
入江正之さんが設計した記念館は、漱石没後100年にあたる2017年に開館。
文学の香りと彼が送った穏やかな生活の気配を感じる場所となっています。

1階の展示室には、漱石が暮らした「漱石山房」の一部が丁寧に再現されています。
書斎、客間、そしてコロニアル建築様式が感じられる廊下に囲まれ、外には漱石が好んだ芭蕉の大きな葉が揺れています。ここで漱石は『こころ』をはじめとする代表作を執筆しました。
再現された住まいは品があり、ユニークな意匠がいたるところに感じられます。
とくに私が好きな場所は中と外の境目があいまいで、モダンなデザインの廊下。通るとインスピレーションがわいてくるような気がしました。

漱石山房では毎週木曜に「木曜会」と呼ばれる文学サロンが開かれ、芥川龍之介や鈴木三重吉など、漱石を慕う若き文士たちが集いました。ここは文豪を育んだ場所でもあったのです。
再現された10畳の書斎はまるで時間が巻き戻されたかのように、文豪の日常を感じることができます。

整然と積まれた書物に囲まれ、ペルシャ絨毯の上には文机にやかんがのった火鉢に格子柄の座布団。
積み上げられた書物も漱石ならではの並びや位置があり、それは本人だけがわかる“秩序”のようなものに則って手に取られていた…。つい、そんな妄想を抱いてしまいました。
ちなみに再現された書斎にある机や書棚、椅子などは、神奈川近代文学館の協力のもと、同館所蔵の資料をもとに作られたそうです。
あくまで個人的な感想ですが、江戸、明治、大正を生きた文士の書斎のイメージを大きく崩すことはなく、必要なものを必要なだけ置いたこの空間は漱石の知と創造と美の遺産そのもののような気がします。きっとこの書斎に入ると創作のスイッチが入ったのでは。そんなことを思わせる空間でした。
さて、自然光の淡い光を透かす芭蕉の大きな葉を横目に廊下を進むと誰かが座っています。

近づいてみると…。

旧1,000円札で見慣れている、ダンディな装いの漱石先生でした!
表情がリアルで、つい話しかけてしまいそう。
2階は漱石の作品世界を紹介するフロア。
名作『吾輩は猫である』にちなんで、黒猫が案内役となとして登場します。


ユーモラスな猫は、ここが文豪の記念館であることを忘れさせる、親しみやすい空気を生み出しています。
私が訪れた時は特別展「『三四郎』の正体 夏目漱石と小宮豊隆」を開催していました。
小説『三四郎』のモデルといわれる小宮豊隆(こみやとよたか、1884-1966)について初めて知りましたが、彼は東京帝大在学中、夏目漱石に保証人になってもらい、以後門下生として木曜会の常連となった人物。漱石が他界した後も夏目家を支え、「漱石全集」の編集を担当したそうです。

展示室を巡った後は、再び1階に降りて「CAFE SOSEKI(カフェ・ソウセキ)」へ。


カフェは落ち着いた木の温もりが心地よく、ここでも漱石の世界観を味わうことができます。
しっとりとした食感と濃厚なバターの香りが広がる「長崎堂のバターケーキ」(広島名物)や『吾輩は猫である』に登場する銀座「空也」のもなかが楽しめるメニューなど。
また、ドリンクホルダーをはずしたら、猫がデザインされたカップが現れ、猫好きの心をつかむ素敵な仕掛けがなされています。


1階には漱石の著作がずらりと並び、読書が楽しめるスペースもあります。


ミュージアムショップにも立ち寄ってみました。
クリアファイルや一筆箋、付箋など、漱石にまつわるオリジナルグッズが並んでいます。

先日、某雑誌で海外の有名人が東京で好きな場所を紹介するコーナーを見ていたのですが、ある台湾人が漱石山房記念館をあげていました。
それほど広く知れ渡っている場所でもないのに、東京の中でこの記念館を選ぶとは!
漱石の魅力は、時代や国境を越えて届いているのかもしれません。

〈ご案内〉
新宿区立漱石山房記念館
東京都新宿区早稲田南町7
03ー3205ー0209
https://soseki-museum.jp